意識のベクトルとは [コラム]
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意識のベクトルとは
何かを選ぶということは、
その対象に対して責任を持つことや
リスクを取ることといえるでしょう。
私たちはカレーを作ろうと思うから想定した具材を買います。
にんじんを買い、じゃがいもを買います。
もちろん人それぞれ茄子をいれたり、隠し味に蜂蜜を入れる人もいる。
はたまた、なにも入れない人もいるかもしれない。
私たちは何かを選ぶことで
同時に何かを捨てています。
説明一つにしても、
何かを発信することも同様に。
意識していても、意識しなくとも。
生きることは取捨選択の繰り返しであることといえます。
選択しないという自由もある。
これは、尊重すべき選択の自由ですよね。
そうでない何となくの状態は
防衛本能のシャッターがおりている状態なので
黄色信号がともっている、と考えたほうがいいように思う。
それを危険性だと思わない人は少なくないように感じる。
なんとなくテレビをつけていませんか。
なんとなく一日三食食べてませんか。
選べない?選ばない?
何も選べないことは何も得れないこと。
これは自分が生きてきて感じたこと。
なんでもいいは、なんにもなれない。
たったひとつの小さな違いは
対象を意識するか、
しないかにあるということ。
小さな違いは
大きな人生の違いを生む。
小さく角度を変えたベクトルは
大きな差となって露呈される。
生かされていると気付き芽生える感謝。
あたりまえなんてないこと。
そんな生かされの世界の中で、
意識だけでも能動的に生きたいと思う。
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意識のベクトルとは
何かを選ぶということは、
その対象に対して責任を持つことや
リスクを取ることといえるでしょう。
私たちはカレーを作ろうと思うから想定した具材を買います。
にんじんを買い、じゃがいもを買います。
もちろん人それぞれ茄子をいれたり、隠し味に蜂蜜を入れる人もいる。
はたまた、なにも入れない人もいるかもしれない。
私たちは何かを選ぶことで
同時に何かを捨てています。
説明一つにしても、
何かを発信することも同様に。
意識していても、意識しなくとも。
生きることは取捨選択の繰り返しであることといえます。
選択しないという自由もある。
これは、尊重すべき選択の自由ですよね。
そうでない何となくの状態は
防衛本能のシャッターがおりている状態なので
黄色信号がともっている、と考えたほうがいいように思う。
それを危険性だと思わない人は少なくないように感じる。
なんとなくテレビをつけていませんか。
なんとなく一日三食食べてませんか。
選べない?選ばない?
何も選べないことは何も得れないこと。
これは自分が生きてきて感じたこと。
なんでもいいは、なんにもなれない。
たったひとつの小さな違いは
対象を意識するか、
しないかにあるということ。
小さな違いは
大きな人生の違いを生む。
小さく角度を変えたベクトルは
大きな差となって露呈される。
生かされていると気付き芽生える感謝。
あたりまえなんてないこと。
そんな生かされの世界の中で、
意識だけでも能動的に生きたいと思う。
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ご訪問&niceありがとうございます。blog拝見します。
by cincy (2014-09-17 13:11)