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服に興味のなかった私がコムデギャルソンを着るに至るまで 5 [連載]

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服に興味のなかった私がコムデギャルソンを着るに至るまで 5

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人は見るものいる場所接する人によって大きく変わる。
環境によって大きく変化し構成される。

ファッションの世界に関わる人には独特の空気感がある。
自分の見え方見せ方を知っている人の自信や落ち着きを備えている。
TPOに合わせた服を着ることはおそらく環境を司ることと同様であろう。
現場を支配しテリトリーを色濃いものに変える力がある。







服とは体温調整や防護することはもちろん、人の見た目に大きく関わるものだ。
人間が環境という場所を選ぶことと、衣服という入れ物に入る(着る)ことは広い定義で考えれば同義である。
つまりそれにそった人間に自然となることである。

人心掌握の力の差も、そんなほんの些細な違いによってもたらされている。
人はその場に合った合理的であろう姿の人間には背くことができない。
つまりファッションとはいかに合理的であるかという価値観が根底に存在する世界。
合理的とは理想的であり、合理的とは美しいという概念。
それは目には映らない数々の数式を纏った世界。

その価値観を壊したのが川久保玲率いるコムデギャルソンである。
新しい感性の数式を取り入れ表現された衣服は人々を困惑させた。
既成概念の崩壊である。







まあ我々が服を選ぶときにそこまで考える必要はないかもしれないが、
何気なく選んでいる服に別の視点を取り入れてみることも一考だと思う。

私たちが感覚と呼ぶ言葉の中には表現しきれていない数式が含まれていることだ。
感覚という雲を具現化したものが表現の世界である。
私たちはそんな表現者たちの思考や洗礼された数式の世界を衣服によって纏うことが出来るのである。
表現者の脳内世界をまとい疑似体験する。
表現者の視野を借り、新しい世界を見るということだ。それが面白くないわけがない。

わたしが衣服に惹かれたのはそういう世界を友人たちの会話から散見したことからである。
説明されたわけでもなく勝手に汲み取ったといえるものだが。

服を選ぶ目を養うことは様々に生かすことが出来る。
何を見ることも、
何故それが欲しいのか分解し着地点に行き着く考え方もそう。
私は服を思うことで人生を思っていたことに気付くのである。6へ続く
 




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コメント 2

すたじおに

川久保さん率いるコムデギャルソン。
四半世紀前も、最先端で、尖ってましたね。
by すたじおに (2014-10-06 14:21) 

Ganchan

ご訪問,nice! ありがとうございました。
by Ganchan (2014-10-06 17:17) 

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