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ゴッホ展へ行きました [LOG]

ゴッホ展


久々に記事(ブログ)を書きます。
なぜブログを書くことが遠のいてしまったかと言いますと、
他の熱中できることに夢中になっていた
ということにつきます。

自分の財産と呼べるようなものをつくることに。
何に夢中になっていたかと言いますと、それは画を描くことです。


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ゴッホ展で見た生のゴッホの画の凄みに衝撃をうけました。
あまりの衝撃に自分の身体は舵がとれなくなった船が自ら方向をかえ漕ぎ出しました。




・ブログという財産


なぜまた書こうと思ったかといいますと
現在も多くの方に読んでいただけている現状に驚いたです。
これはもはや自分にとって財産なのではないかと思えたからです。
なのでまた興味深いこと、楽しんでもらえるようなことを書いていこうと思います。
そしてそれがどう画に昇華されていくか楽しんで貰える記事と画を描きます。

そう至る以前にも多くのことがありました。
自分が変わる必要があると感じたとき。
自分の至らなさにいたたまれなくなったとき。
その度に弱い自分をたくさん発見してきました。
そして自分と向き合うことにおおくの時間を注ぎました。
そのことはまた書きます。
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身銭を切ることの有益性 [LOG]

身銭を切ることの有益性


最近お金に対しての認識が変わったなあと思うことの一つ、
駅の改札で間違えて高い切符を買ってしまったときのことです。
昔なら窓口に行くなり、買い間違えボタンなりを押して切符を買い直していたと思います。
自分はよくぼんやりして切符を買い間違えてしまうことがあるのですが、(それも高い切符)
先日はまあ寄付だと思ってそのままでいいやと思ってそのままに払った自分がいました。
これは少なからず自分を誇らしく思える出来事でした。
なぜこう思える自分でいれたか考えてみると、世界にお世話になっているという認識、生かされているという認識が芽生えたからでした。
それは瞑想で頂いた恩恵の一つです。
世界は一つ、全ては巡り巡る。


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お金を払って物事を行うことの有益性とは何かと考えると、
痛い思いをしなければ身体は価値というありがたみを感じないということです。
体験を得たいと思うのなら感謝の代替であるお金を払ったほうが後々その人の為にもなることです。
その人に残る旨みが変わってくる、ということです。

例えば映画館に映画を見に行くなんてもったいない、
DVDを借りて家で見ればいいという考えもあるとおもいますが、
むしろ見たい映画を映画館にお金を払って見に行きたい自分としてはそれはよりよい環境で体験を買うことのできるありがたい場所です。

それは価値がないと決めつけてしまうには少し待ったをかけたほうがいいです。
それは途端に自分に残る価値を減らしてしまいます。
真剣になることや夢中になることにお金を払っても取り組みましょう。





・経験を買う


興味があることには試しにお金を払って体験を買いにいくことをおすすめします。
それはどう転んでも行ってよかったと思える価値ある体験です。
最近は色々なワークショップに参加しています。
喜んでお金を払いたいと思える場所です。
自分もそう思っていただける活動を行っていこう。


即興舞踏ワークショップ [LOG]


即興舞踏ワークショップ


今日は奈良の舞踏家田中誠司さんの即興舞踏ワークショップに参加させてもらいました。
それは以前観に行ったモティマルダンスカンパニーの舞踏に衝撃を受けたこと、舞踏の世界に引き合わせて頂いた田中庸平さんの紹介から参加を決めていました。
舞踏の一旦に直に身体を触れてみたいと思いました。


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稽古小屋前にて


それは一体何をするのかといいますと、いかに普段感じていない身体の場所を知覚し身体を乗り踊るかということです。
憑依させ、メタモルフォーゼする土台となる身体をやしなう訓練です。

我々は普段利便的に言葉を使ってやりとりしますがその言葉という記号の概念から溢れてしまう場所も感知し即興で身体を使い表現します。
全身で聞こえてくる音を拾い、掬い、体内に蓄積してあらゆる空間と繋がること、その空間を広げるワークショップです。
もう一つは自分が世界を映す鏡となり、背中、天の上、地下奥のマグマまで写しながら身体を歩行させます。


そして相手と向き合い相手の全てを映す鏡となります。一切の感情を排除して真っ直ぐに向かい立ち合います。
これは思わず目線を逸らしそうになります。が、とても気持ちの良い調和が生まれることを体感しました。


そして6人で一つの舞台を作り上げます。
先ほど習った全てを掛け合わせ混ぜ合わせ。それは言葉で言うのは簡単ですが。
そこに調和を見いだし、シンパシーを感じ、気持ちよく動けるオン状態、ゾーン状態に入っても自分が動きたいように動くことを抑えあくまで調和を重んじる。そしてたまに切り込みをいれ新しい風を入れる。
それは自分を核をさらけ出し、相手を心から信じて初めて調和するのだと思いました。
常に自分を開き続けること、それは相手と、観客と繋がろうとする一歩で、閉じてることは繋がれないこと。
これらは日常あらゆる全てに通じ応用することが出来る体験でした。



舞踏の一端を知ったに過ぎませんが、人体を駆使し知覚し観客と繋がり踊る人間の身体というものがこんなにもセクシーなものなのかと感じました。
決してメジャーではないコアな世界はこんなにも生き生きと脈打ち躍動しています。


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