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書を捨てて街へ出た [コラム]

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書を捨てて街へ出た

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ここ最近進んで外出することが多くなっている。昔では考えられない変化である。
例えば休日の街に進んで繰り出すことなんてありえないことだった。
それが今あえて休日の街に繰り出すことが楽しいのだ。理由は人が多いから。
よくわからない人もいるかもしれないけど結局人が居ない街なんてなにも楽しくないということ。
様々にコミットすることに人生の楽しみを覚えたこと。
生活の為に働いて生きていくことは出来るけど、そんな人生をおくるつもりはもうない。
お金というのはingの形でないともっていてもなにも面白くないし有意義に使うことは出来ない。
つまり生活や暮らしの中での必然性や人との関わりや発見の中で使うお金でないと満足感はなくそれは有意義とは遠くなる。
必要なときに使えるお金、これがなにより尊いお金であり人生を豊にしてくれるお金である。
お金の為に働くことは馬鹿げている。お金を得た先のビジョンが生活の舵を握る。

ショッピングすることは大きな括りで言う社交であり、今はそんな社交場に行くことが楽しい。
今までは価値を交換する場所の認識だけだったが全く逆に思うようになった。
最初に社交があり、良いものがあるなら価値を交換するという認識だ。
こう考え行動するようになってからコミュニケーションのあり方は大きく変わった。
先日銀座の街を散歩したら、街から聞こえてくるのは外国語ばかりだったなあ。

実際の行動による財産は気付きや発見である。
街の匂いや聞こえてくる音、香る雰囲気、その他を含む圧倒的な臨場感。
想像で体験することももちろんできる、イメージの力のすばらしさは知っている。
重要なのは体験にはイメージや想像を超える気付きや発見、つまり想像を超える気付きが得られることだ。
人が感動する大きな理由の一つにも既知を超えたものということがあげられる。

今銀座ではクリスチャンディオール展が催されておりふらっと立ち寄ったことも貴重な体験だった。
現場でオートクチュールの刺繍を担当している人の貴重な話しを聞くことが出来た。
わたしはいくつかの質問をして答えて頂けた、こんな体験もまあない。

身体の欲望の声でなく欲求に耳をすませて動く。
イメージが先にあり行動が形づくるこのことは忘れてはならない。
ふわっとした大局的なイメージも欲求の声に耳をすませれば自然と形作られるのだ。
 



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